作家・池澤夏樹氏は、小説の中で、「外国」をこう定義している。
「われわれにとって外国とはなんだろうか。言葉、日々の習慣、互いに見ている顔つき、食べているもの、着ているもの、町の風景、自然の風景、社会の慣習や制度や法律……要するに普段の生活の土台となっているものの多くが異なる場所、である。
それ以上に、外国とは、ここは自分の国ではないという意識を常に持って、一種の緊張のうちに過ごすところだ。自分の常識は通用しないという覚悟がいるところ。あなたはそこではお客様であり、場合によっては邪魔者であり、異物である。追い出される可能性のある場所。あらゆる意味で仮の生活の場。」(『すばらしい新世界』中公文庫より)
常に“旅人的視点”に立ち、あらゆる事象や情感を地球規模で捉え、すでに見飽きたはずの世の中を鮮やかに切り取り、〈新たな世界〉として描き直す稀代の作家ならではの、切っ先鋭い“ことば”である。こうも的確に定義されると、私を含め、多くの人は、改めて「外国」について、もしくは「外国に足を踏み入れる」ということについて、胸に手を当てて、考え直さずにはいられないのではないだろうか。とりわけ、15日間のインドネシア調査出張(2016年9月13~27日)を終えた私にとっては、ひと際、重い言葉として、圧し掛かってくるものがある。
「異国」という言葉がある通り、そこが「生活の土台となっているものの多くが“異”なる場所」であるということは、数日間なりと海外で過ごせば、容易に気づくことができる。今回のインドネシア調査出張においても、例えば、まるで擬音のようにコロコロと弾んで聴こえるインドネシア語の響き、ジョグジャカルタ空港に降り立った刹那に嗅いだ香辛料のような香ばしい匂いを含んだ風、この国の土の色を封じ込めたようなバティック(ろうけつ染め)の渋い色彩などは、どれもが「異国に足を踏み入れた」ということを実感させてくれたし、否応にも旅への興奮を高めてくれた。しかし、それらの上に、「邪魔者、異物としての自分」を発見し、「追い出される可能性があるということへの緊張感と覚悟」を持つことは、そう容易なことではない。物見遊山的な浅い付き合い方では一生得られない感覚であろうし、異国の生活や信仰や、そこから形成されるコミュニティーにそれなりに入り込んでいく必要があるからだ。しかし、畢竟、異国に足を踏み入れることの“醍醐味”は、そこにあるのではないか──。
幸いなことに、私は、インドネシア滞在中において、自分の常識が全く通用しないこと、自分が異物であることをはっきりと認識する瞬間を得た。それは、インドネシアの代表的な伝統芸能のひとつ「ワヤン・クリッ」を目の当たりにした時である。その時の衝撃については前回のコラムで書いた。ワヤンを、様々な日本の伝統芸能と比較することで、自分に近づけよう(引き寄せよう)と試みたのが前稿であったとするならば、本稿では、引き寄せようにも引き寄せきれないもの、つまり、どこまでも「自分の常識は通用しない」と感じた点について書いてみたいと思う。
それは、演者も観客も含んだワヤンの上演空間全体について、もしくは、その空間との付き合い方についてである──。
ワヤンは基本的に徹夜で上演される。日がどっぷり暮れてから、夜明け近くまで、その間約七時間、休憩なしの長時間上演である。その間、観客は、客席で、各々自由に、実にのんびりと過ごす。そもそも、ワヤンの上演において、客“席”という概念の有無すら怪しい。観客は基本的にどこに座ろうが自由なのである。ガムランの楽隊に混じって奏者たちと世間話に興じる人もいたし(奏者たちも不思議がっている様子はなく、まるで茶の間で会話しているかのようにリラックスしていた)、観客の三割近くは寝そべって見ている。中には、設営されているスピーカーの上で熟睡しているおじさんまでいた(身体に響く大音量のダランの語りを子守歌にしてむさぼる眠りはさぞ気持ちがいいだろう)。勿論、飲み食い煙草も自由、途中入退場も自由、寝てようが起きていようが、しゃべろうが自由なのである。
これは、歌舞伎座や文楽劇場、能楽堂などの、現代の日本における伝統芸能の客席の空気、または鑑賞態度とはあまりにかけ離れている。そのため、私ははじめ強い戸惑いを覚えた。自分がワヤンをどのような態度で観るべきなのか全く見当がつかなかったのである。また、他の観客(現地の人々)が何を〈楽しみ〉にし、何を〈鑑賞の核〉にして見ているのかもわかり兼ねた。それは、自分が、ワヤンというコミュニティーに入っていけない存在であるということを強く意識した瞬間であったし、ワヤンにとっては「異物」以外のなにものでもないということを思い知らされた瞬間でもあった。一種の疎外感のようなものも感じていたのかもしれない。
かつて同じような疎外感を、江戸時代の芝居小屋について調べている時に感じたことがあった。
江戸期の歌舞伎は、日の出から日没までの終日上演が基本であった(終日上演が行われるようになったのは、劇場に屋根が取り付けられ、文字どおり“芝居小屋”の中で、天候などに影響されず安定した興行が打てるようになってからのことで、それまでは野外、あるいは半野外で行われていた。また、上演の形態や時間帯などについても江戸と上方とでは多少事情が異なるようだが、話が煩雑になりすぎるので本稿では触れないことにする)。幕の区切りのいいところで幕間と呼ばれる休憩時間があったものの、上演中に出入りする客もいれば、目当ての役者が登場するまで、隣の茶屋で一服というお客も少なくはなかった。当時の芝居風景を描いた錦絵などを見ると、談笑する客、喧嘩をはじめる客、中には七輪(簡易コンロのようなもの)を持ち込んで、車座になって鍋をつついているツワモノまでいる。錦絵の類には多少の誇張はあるだろうが、残された絵を見るかぎり、いかにも客席が騒がしそうで、そして自由である。
私はかねてより、江戸の芝居小屋に憧れつつも、自分が、そのような劇空間にいる様子をうまく夢想できないでいた。どうしても感覚として理解できないからだ。芝居小屋に入れば、一秒でも長く舞台を見たいと思ってしまうだろうし、中座することなど自分に許容できそうもない。こちらが見入っている時に、隣で談笑されれば腹が立つだろう。せっかくの自由奔放な客席も、場合によっては集中力を削いでくるだけの雑然とした空間にしか感じられなくなるかもしれない。
ワヤンにおいても、江戸の歌舞伎においても、私たち日本人の常識的な観劇態度が〈通用しない〉ということなのだろう。ならば、新しい観劇態度を模索するしかない。
まずは無駄な力を抜いてみた。たゆたうように空間に身をまかせるつもりで、ダランの語りの節回しに、ガムランの音や拍子に、身体のリズムを合わせていく。お、これはなかなか、恍惚として気持ちがいい。次に、周囲の会話や、煙草の匂い、間食としてつまむ食べ物の味も、遮断せずに感知しようとしてみる。感知することで、自分の身体感覚、もしくは目の前で行われている上演の受け取り方が、どのように変化したかまでも感じようとしてみた。微細な変化も見逃さないぞ! という心構えで意識を集中させる。すると、不思議なことに、空間全体が自分の中に〈浸透〉してくるような感覚に陥った。身体がどこまでも広がっていくような爽快感、まるでワヤンが体内で上演されているような感触……。あの時の感覚をあえて言葉で説明するなら、こういうことになろうか。なるほど、江戸時代の観客は、もしかするとこういう〈感覚〉だったのかもしれないなとも思った。目や耳や脳だけを使って何かを鑑賞するということがひど
く不自由なことのようにも感じられた。
芝居は、“目”だけで見るものではないのだ。近代的な劇場文化の延長線上に生きる日本の私たちは、どうしても、視覚と聴覚にほとんどの神経を集中させて、舞台芸術を感じようとする。しかし、実は、嗅覚も触覚も、時には味覚もフルに使って観劇することが可能なのだ。いうなれば、それは身体全体をめいっぱい“開いて”上演作品はおろか、劇空間そのものを受け止めようとすることであり、決して、散漫な鑑賞態度などではなく、むしろ五感を意識的に開くことで、身体(内界)と空間(外界)の垣根を曖昧にし、上演作品も観劇空間全体をも、体内に取り込んでしまおうとすることに近く、そのためには近代的な鑑賞法とは種類の異なる集中力も当然要する。
ワヤンを通して、新たな〈観劇の感覚〉を得ることができたのは大きな収穫であった。
が、しかしもっと大切なのは、この稀有な体験は、ワヤンをこちら側の常識に〈引き寄せる〉ことで得たのではなく、常識や慣習を打ち捨てて、ワヤンの空間に身を〈投げ出す〉ことで得たということなのではないか、と、帰国してもうずいぶんと月日がたった今、思ったりしている。__