【対談】古典と向き合う―文学と演劇―

2016年11月6日。作家・詩人の池澤夏樹と、木ノ下歌舞伎主宰の木ノ下裕一によるトークイベントが、KYOTO EXPERIMENT関連イベントとして、ロームシアター京都にて行われました。本稿はその様子を再構成した対談です。古典芸能の現代化に挑み続ける木ノ下裕一と、古典文学の新訳を多数収録した「日本文学全集」(河出書房新社)を個人編集する池澤夏樹。木ノ下の池澤へのリスペクトから本企画はスタートしました。二人のスタンス、志、関係性、語り口、全てが詰まったテキストを、全十二幕、二万字越えでお届けします!

司会・進行:園田喬し
2016年11月6日 ロームシアター京都にて

【第一幕】池澤『本当に面白いし、今後も観たいと思いました』

木ノ下 ご来場の皆さま、本日はようこそお越し下さいました。まずはご挨拶を兼ねて、僕から木ノ下歌舞伎に関するお話をさせて頂きます。木ノ下歌舞伎の特徴は、大別するとふたつありまして、ひとつは「日本の古典芸能、特に歌舞伎や文楽などの演目を現代演劇に作り替えている団体」ということです。古典芸能家や歌舞伎俳優ではなく、現代演劇の演出家や俳優と一緒に古典のテキストを現代化しています。もうひとつの特徴は「演出家を固定しない」ということ。一口に歌舞伎と言っても、世話物、時代物、舞踊など様々な様式がありますから、それらに望むためには色々なタイプの演出家が必要になります。僕は公演の度にベストの演出家とタッグを組み、演出家の傍で相談を受けたり、アドバイスをしたり、一緒に考えたりしながら、作品作りをしています。これは小説家と編集者の関係に近いかもしれません。以上二点が木ノ下歌舞伎の主な特徴です。丁度いま『勧進帳』という作品を上演中で、この対談の後に千秋楽を迎えます。
池澤 その『勧進帳』を一昨日観ましてね。今日これからご覧になる方もいるのであまり踏み込んだことを言ってはいけないのだけれども……、面白いです。本当に面白い。
木ノ下 ありがとうございます!
池澤 芝居というのは面白いものとつまらないものの差が天と地ほどあって、つまらない芝居を観た後は人生が暗くなるのだけれど、この『勧進帳』は本当に面白かった。話の筋は最後まで知っている。そうすると、本来の能や歌舞伎の様式美をどうひっくり返すか、どこを残して、どういうからくりで現代化するのか、その辺りが実に良かった。
木ノ下 嬉しいなぁ〜。
池澤 これは今、抽象的に言っています。具体的に言うと、これから観る方の楽しみを削ぐから。しかし、ほとほと感心しました。歌舞伎を元にこういうことが出来るのか。それが観劇直後の印象。その後でつくづく考えると、まあ皆さん芸達者。色々な表現がある。本来の歌舞伎的な面白さを残しながら、そこへ次々と加えていくわけです。途中のあれはラップですよね?
木ノ下 ラップもありますね。
池澤 ラップもあればチャンバラもあるし、早口の論争もある。でも、役者の歩き方がお能の摺り足になっていたり、泣く時には手がこうなる。あの手の動きもお能でしょ?
木ノ下 はい。いわゆる「シオリ」です。
池澤 そういうものひとつひとつが全部溶け込んで一体化しつつ、ちゃんと各部も保っている。大したものだと思いました。
木ノ下 ……(息を呑む)。
池澤 これくらい褒めればいいかな?
木ノ下 ありがとうございます(笑)。
池澤 本当に面白いし、今後も観たいと思いました。今日はこれくらい抽象的な話に留めておきましょう。
木ノ下 ……本当に感無量。ずっと池澤さんに観ていただきたかったんです。池澤さんの作家としての素晴らしいお仕事はもちろんですが、近年の僕が特に熱狂していて、熱を上げるあまり悔しさすら覚えたお仕事に、河出書房新社から出ている「日本文学全集」の個人編集というものがありまして。「こんなことが出来るんだ!?」と、まぁ嫉妬したんですよ。その上で、僕が古典を扱う際に考えたり悩んだり、あるいは楽しんだりしていることを、池澤さんとなら共有出来るのではないか? と、これまた勝手な妄想を繰り広げまして。
池澤 木ノ下歌舞伎の『勧進帳』を観て、ぼくは「同じことをやっているな」と感じた。木ノ下歌舞伎と「日本文学全集」は原理的に重なるところが相当ある。今日はそういう話をしましょう。

【第二幕】池澤『日本人とはいかなる人々か? を勉強するために全集を作ってみようと』


木ノ下
 その「日本文学全集」ですが、ご本人から説明を頂いてもよろしいですか?
池澤 数年前から「日本文学全集」という大袈裟なタイトルの全集を編集しております。こういう仕事はうっかりすると出版社の社運が掛かりますから、共に勇気を持って決断しました。文学全集というものは、昔はたくさん出たんですよ。昭和の初めから1980年代くらいまで、出版社のドル箱でした。戦争中を除いてずっと出ていた。最初にこれを思いついたのは改造社という出版社で、経営状況がギリギリの時、起死回生の大博打でやってみた。最初に全巻の内容を発表してしまう。毎月一冊刊行する。そして、最終巻まで予約した人に特典を付ける。そういうやり方で、この博打が大当たりしました。そうすると他の出版社も黙っていなくて、すぐ後に新潮社がやり、それも売れた。あっちこっちの出版社がやり出して、しかも確実に売れる。その理由を考えてみたけれど、大正の終わり頃というのは、日本人の教養主義が非常にしっかりしていた時期です。元々日本人は本を読むのが好きなんですよ。江戸時代、日本へやってきた外国人が「こんなに本を読む人達は初めて見た」と驚いた。暇があると懐から薄い本を取り出して読んでいる。その伝統がずっと受け継がれてきたんです。明治以降は西洋の文学が入ってきた。それも勉強して、今度は西洋式の小説の書き方を身につけてどんどん書く。そういう努力の成果が一定量たまったところで、大正の終わり頃に、それをまとめて全部読めるようにしました。それが文学全集の起こりです。また一方で、日本人はセットが好きなんですよ。幕の内弁当とかお雛様とか、ここに全部揃っていますと言われると欲しくなる。バラバラに出すよりずっと有利。これは営業戦略です。この風潮が80年代に終わりました。教養主義なんてもういいじゃない。そんなお勉強なんか止めて、読んで面白かったらぽいと捨て、次の本を買いましょうよと。つまり、本は教養財から消費財へ変わってしまった。それから2005年頃だったか、河出書房新社にいる友人の編集者から「池澤さん、『世界文学全集』をやらない?」と言われた。その時は「そんなもの今更ダメだよ。古いよ。第一、最初に刊行リストを発表したら、途端に文庫でそれを買っておしまいでしょ」と言ったんだけど、若い編集者達も熱心だったし、何かやり方があるだろうと思って、改めて考えた。それで、だったら既存の世界文学全集とは全く別のものに仕立てようと、まず古典を全部捨てちゃいました。収録された作品は第二次世界大戦後のものがほとんどで、そこにちょっとだけ20世紀前半のものを混ぜた。何故かというと、戦争が終わった後に世界ががらがらと変わった。大戦中の植民地は次々と独立して、女の人達は強くなった。そして、世界中の人達みんながやたらと移動するようになった。終戦から9.11までの世界の変容を文学で辿れるか。それが隠れたポリシーでした。結果、これはそこそこ上手くいって、昔の大ヒットと比べたら一割程度ですけど、最終巻までちゃんと出せた。で、ひとまず終わったんですが、味を占めた河出の社長が「池澤さん、『日本文学全集』もやろうよ」と言いだした。ぼくは「安直だよ、あなたは」と言った。「世界文学全集」に関しては、ぼくは元々が書評家ですから、この何十年間に出た翻訳文学は大体目を通していて、そこから良いものを選んでいけば内容のリストが作れた。でも、日本文学、何も知らないんです。本当に知らない。だから「無理だ」と言って、そこで話は終わりになった。そして、「世界文学全集」の最終巻が出たのは2011年3月10日でした。翌日が東日本大震災です。それからぼくは東北に、「入り浸って」というのはヘンだね、郭じゃないんだから。
木ノ下 フフフ。
池澤 東北へひたすら通い詰めて、みんなの話を聞いて、レポートをして、そういうことが1〜2年間続きました。その途中で、何でこんな情けないことになっちゃったんだろうと思うわけです。この国は辛い。地震は起こる、津波は来る、火山は爆発する、それでも足りないと言わんばかりに台風もやって来る。何も好き好んでこんな土地に住む必要はないじゃないか。しかし、結局我々はここに何万年も住み続けてきた。それなりに良いところもあって、四季折々きれいだし、なかなか豊かで、雨も降れば日も照る、お米も穫れる。島国で半ば閉じているから社会も安定しやすい。本当に奇跡的に、1945年まで異民族支配を知らないで済んだ。こんな国、どこにもないです。陸続きなら敵が来ます。海があるおかげで、軍勢を渡すのが難しかった。日本とはこういう国で、日本語という言葉に頼り1300年間文学を作ってきた。そう考えた時、「結局日本人とはどういう人達なのか?」と改めて問い直してみたくなりました。ぼくはこれまで、大体は外のものへ目を向けてきて、文学も海外作品を読み、しばらく海外へ行って何年か暮らし、ぼくにとっての日本とは、外で見たものや聞いたことを報告する相手だった。そういう意味では徹底して日本人です。愛国者、ははは。だけど、日本そのものへの関心が薄かったため、日本文学をあまり読んでこなかった。そういうことを考えていたら、河出の若森社長が「やっぱり『日本文学全集』はダメ?」と改めて聞いてきた。じゃあ、日本人とはいかなる人々か? を勉強するために全集を作ってみようと、そういう発想でつい「やろう」と言っちゃったんです。無責任な話でね。だって『源氏物語』を最後まで読んだことがなかったのだから。そういう例はたくさんあります。既存の日本文学全集の内容と言えば、大体が明治以降です。明治以前は「古典」という言葉をつけて別にします。だけどこれは日本人論なんだから、始まりから今までを視野に入れないと意味がない。で、古典をたくさん入れることにしました。そうして、古典をどう読むのか、どう提供するのか、そういうところで木ノ下さんと同じ発想をしたのだと思う。現代化しようと。あの三島由紀夫という立派な作家が「古典を現代語訳することは冒瀆である」と言っています。彼にとって古典というのは、多分女神様か天女様であり、日がな一日拝んでいたのだと思う。ぼくは根が俗な人間ですから、天女様の手を引っ張ってきて一緒に暮らしたいんですよ。そうすると、ひらひらした衣装では日常生活に不便であるから、ジーンズとセーターに着替えて頂けませんか? と。そういうつもりで現代語訳しようと考えました。だってこれは、読書であって勉強ではないのだから。古典であって古文ではないのだから。方針を決めて、内容のリストを編集部と相談しながら決めて、その次が難しい。誰に訳してもらうか。そもそもこんな仕事を持ち込んで、今時みんな受けるものなのか。恐る恐る蓋を開けて頼んでみたら、これが意外と反応が良い。ほとんどが二つ返事で、みんな「やる」と言ってくれた。そのうち「で、池澤さんは何を訳すんですか?」と言われました。いや、ぼくは指揮官だから、作戦を練って後方から指揮をすると言ったら、「ダメです。将校が前へ出て戦わないと、兵隊はついていきません」と。仕方ないなと思って、一番簡単そうな『古事記』にしました。そんな感じです。

【第三幕】木ノ下『アーティスト訳の可能性にすごく魅せられました』

木ノ下 僕がこの全集で感動したポイントがふたつあって、ひとつはこれ、一般的な文学史に沿ったものではなく、あくまで池澤さんの個人編集なんですよ。三島由紀夫が入っていないとか、でも中上健次は入っているとか、これまでの全集なら当然入ってきた作家が見当たらず、そのあたりのセレクト意図を考えていくのが非常に面白い。ふたつめは、第一巻であり第一回配本が、ご自身が訳された『古事記』から始まるということ。これはすごいことで、自ら「古典の現代語訳とはこういうものだ」と、バシッとモデルケースを出しちゃうわけです。具体的には、脚注がたくさん付いていて、細やかな工夫のもと『古事記』が読めるようになっている。この後に、じゃあ皆さん次を訳して下さいとバトンを渡しているのですが、池澤さんご自身が「私のやり方に囚われなくていい。むしろ脚注はつけない方向で考えて欲しい」と仰っていますね。
池澤 先ほど「一番簡単そうなのが『古事記』だった」と言ったのは、文体が明晰だから。例えば『源氏物語』と比べると、あれは出入りする人々の数も多く、その関係も錯綜していて、心理的な綾が綿々と書いてある。非常に凝った文体です。とてもぼくなんかに手の出せるものではない。『古事記』に出てくる人間は単純明快な性格であって、出会ったら、愛するか殺すか、奪うか逃げるか、そういう話がパキパキした文体で続いている。いま脚注の話が出たけれど、これ以前にも『古事記』の現代語訳は幾つかあり、それらは現代人に分からない事柄の説明文を本文中に織り込んでいた。それはそれで親切なんだけれども、そうすると読むスピードが落ちるんです。『古事記』というのはとにかく早くて、タカタカ進んでパッと次の話題へ移る。その本文を鈍重にはしたくない。しかし、分からない事柄があるのは困る。じゃあ脚注にしよう。そうすれば、説明が欲しい人は視線を下ろせばそこに脚注がある。そんなものいいから先へ進みたいという人は後回しにすればいい。それを選べるよう、そういう仕掛けを作りました。普通の文学書で脚注がたくさん付いているものは滅多にないですよね。有名になったのは田中康夫の『なんとなく、クリスタル』。あれはたくさん注が付いていて、注自体が面白かった。その方式を採用しました。しかし、翻訳、現代語訳をどなたかに頼む場合、それは皆さんの自由を最大限保証するというか、「どうやって下さっても結構です、翻訳の範囲に収まるのであれば、あなたの思うようにやって下さい」と言いました。ぼくのやり方は例外だから、よい子の皆さんは真似してはいけません。それでも、いとうせいこうさんは、ぼくに倣ってではなく、『なんとなく、クリスタル』に倣って注をたくさん付けました。これがまた面白い。
木ノ下 山東京伝の『通言総籬』ですね。
池澤 このように、ひとりひとりが工夫して下さればと、ポンと手渡したんです。
木ノ下 色々な訳し方があっていいですもんね。いや、あるべきなんです。古典を訳すということは、つまり、原文から〈どこ〉を、〈なに〉を取り出すか? ということですから。例えば、よくある文学全集では研究者の方が原文の下にプレーンな訳を添えたりしますが、池澤さんの全集ではアーティストが古典を訳している。僕はこれを勝手に「アーティスト訳」と呼んでいて、このアーティスト訳の可能性にすごく魅せられました。この原文をどう訳すか? というところに各々の作家性が出てくるわけですが、河出の「日本文学全集」は、その作家性と原文の文体が、さほど遠くない気がするんですよ。
池澤 現代語訳を誰に頼むかという問題ですが、学者には学識があります。よく知っています。おそらく誤訳はしないでしょう。でも、文体は違うんですよ。大切なのは文体なんです。だから作家に頼んだ。作家はひとりひとりそれぞれ違う文体を持っている。それと作品がマッチすれば面白いものになる。それが狙いだったので、まず作家が翻訳をして、それを学者に読んでもらい、歴然たる間違いはそこで正す。そういう手間をかけています。