【対談】伝統芸能と向き合う―歌舞伎とワヤン―

「伝統のチカラ、芸能のカタチ」事業では、私たちにとっての伝統とは何か、伝統を現代化する必要性や、それがもたらす意味や役割についてより深く考えるため、メンバーによる対談を企画しました。本事業のメンバーには、日本とインドネシアそれぞれの伝統芸能を心から愛する2人の専門家がいます。現代における歌舞伎演目上演の可能性を探る「木ノ下歌舞伎」を主宰し、古典の現代化の在り方を探究しつづける木ノ下裕一と、ジャワの伝統芸能として名高い「ワヤン・クリッ(影絵芝居)」の研究者である遠藤雄の二人を中心に、ここでは大きく3つのテーマについて掘り下げていく予定です。テーマの1つ目は、何を以て「歌舞伎/ワヤン」と呼ぶのか? 2つ目は、「古典芸能」「伝統芸能」それぞれの意味と違いについて。そして3つ目は、伝統芸能の現代化とは何か?ある種究極的とも思えるこれらの命題について、定期的に意見を交わし、より深い理解を得ることを目指します。プロジェクトの進展と共に、伝統のチカラがより認知され、芸能のカタチについて考える基盤となることを願いつつ、対談をスタートさせましょう。

聞き手:園田喬し
2016年8月1日 国際交流基金にて収録

【問1】何を以て「歌舞伎/ワヤン」と呼ぶか?

木ノ下 何を以て歌舞伎か? という問いに答えるのは最も難しく、且つ僕の中でも一番のハテナ。
遠藤 ワヤン・クリッ(※以下ワヤン)も、何を以てワヤンか? に答えるのは非常に難しいです。

−− ん〜……。では、次の質問へ移ります。

二人 ええっ!?(笑)。

−− だからこれ、最初に訊ねる質問じゃないんですよ! 難問すぎる。究極すぎる。

遠藤 でも、この【問1】なくしてこの事業は始まらないです。

−− 遠藤さんはそう仰いますけど……。

遠藤 これは譲れません。
木ノ下 いやいやいや(笑)。でも、難問だからこそ考え甲斐がありますよね。僕なりに言わせて頂くと、その答えはひとつではないし、そもそも答えがあるかどうかも分からない。それについて考えること、見つけようとすること自体が、とても楽しいんです。
遠藤 ワヤンは、そもそも「影絵芝居」と訳すこと自体にためらいがあります。ワヤンの成り立ちには諸説あり、誕生当初から影を用いていたのかもハッキリしない。そして、近年のワヤン上演では観客の多くは「影」の側から上演を見ていない。
木ノ下 ほう!

−− (……何を見るんだろう?)

遠藤 ダラン(※人形遣い)や楽団が座る舞台の後方から、ダランの背中越しに上演を観る。要するに影じゃなくて人形そのものを見るんですよ。語源から考えると「ワヤン=影」ではあるけれど、話はそれほど単純ではなくて。
木ノ下 語源ですね、じゃあ僕もそこから。歌舞伎は「傾く(かぶく)」という言葉から始まりました。現代ではファッションが奇抜だったり、尖った意見を述べる人を「あの人、傾いてるね」と言ったりするけど、それは江戸時代の意味合いとは、若干異なります。現代に置き換えると、反骨精神を持つ、物事を見る切り口を変えてみる、そういう批評性にあたるのではないかと。その表れとして、奇抜なファッションや尖った言動なんかがある。だから「傾く=批評性」と訳すのが適していると現段階では考えています。
遠藤 すると「何かを批評したもの」が歌舞伎?
木ノ下 いや、それも違います。それは伝統という発想が抜け落ちてしまっている。歌舞伎は批評性とエンタメ性のバランスが絶妙で、それが渾然一体となり両者が入り混じっているシーンがよくあるんですよ。だから、現代演劇を鑑賞していて、批評性のあるエンターテインメント作品と出会った時、僕は「ああ、これは歌舞伎やな〜」と感じることが多いです。

歌舞伎とは?について考えることは「現在の自分を知る」と同義

遠藤 形式・様式というのは、歌舞伎の本質とあまり関係性がない?
木ノ下 例えば「一人の俳優が瞬時に別の役に入れ替わる」という演出がありますが、あれは一瞬で入れ替わるという単純な驚き、エンターテインメントとしてのショー要素と、一人の俳優が全く別の役をやること自体に批評性があるんですよ。善と悪を同じ俳優が演じたり、一人が何役も兼ねることで「人間とは? 個人とは?」という領域へ踏み込んでいく。
遠藤 なるほど!
木ノ下 回り舞台なども、ダイナミックさ、スペクタクル性のエンターテインメントですが、ひとつの街が舞台上に出来上がっていて、それを俯瞰的に見るという行為が批評性に繋がる。回り舞台が回るということは視点が変わるということですから。だから、舞台技巧も含めた「エンタメ性と批評性の両立」ですよね。
遠藤 根底にエンタメ性と批評性の両立があり、そこから形式や技法が紡ぎ出されてきたというのは非常に興味深いです。ワヤンにも、エンタメ性と批判性が確実にあります。でも、歌舞伎の伝統とワヤンの伝統はまるで違う。ワヤンの上演ではダランがあらゆることを仕切り、上演のほとんどがダランの手に委ねられます。だからワヤンの歴史を振り返る際には「あのダランは凄かった!」みたいな、特定のダランありきで、伝統的な文脈よりも個人の力量を振り返る形で語られることが多くなってしまう。しかも、ワヤンから派生した上演形態は多岐に渡り、極端なものだとスクリーンも人形も使わない上演まである。

−− (ワヤン、フリーダム過ぎ)

遠藤 外国人研究者である私は、多様な形態のワヤンを観る度に「ワヤンとは何か?」、「何を以てワヤンと定義すれば良いのだろう?」と考え続け、そこから私なりのワヤンを探す旅が始まりました。それについて考察することは、歴史的、社会的、宗教的、文化的背景など、あらゆる観点からワヤンについて考えなければならない。とは言うものの、もしこの場でひとつの視座を提示するのであれば、「ワヤン(影)の捉え方」ではないかと考えます。物理的に人形へ光を当てることで生まれる影をワヤンと呼ぶのか? それとも、もっと抽象的な意味も含まれるのではないか? 私は「アジア演劇の本質は空間体験にある」と考えているのですが、観客達はそこで上演されているものに色々な“意味”を投影します。そこに着目すると、ワヤンの本質に少し近づけるのかな。

−− (お〜。遠藤さんカッコイイ)

木ノ下 歌舞伎もワヤンも「何を以て成るのか?」という答えはひとつではなくて、それは「自分は古典の中に何を見出すか? 己の興味とは何か?」という自己投影に他ならないと思う。だから、歌舞伎とは? について考えることは、僕にとって「現在の自分を知る」と同義なんですよ。

−− そう考えると、インドネシア渡航前と渡航後では“現在”の内容がグッと変わってくる可能性が高いですね。

遠藤 渡航中も刻々と変化していくと思いますよ。

木ノ下 そうですよね。いやー、楽しみやなー。

【問2】「古典芸能」及び「伝統芸能」の表記・意味について

遠藤 インドネシアの芸能では、あまり「古典芸能」という言い方をしません。と言うか、あまり明確な使い分けがなされていないという方が適切かもしれない。一般的には、東南アジア全域で「古典」と称されるものがあるとすれば、インド伝来の二大叙事詩『マハーバーラタ』、『ラーマヤナ』がそれにあたると思います。
木ノ下 『マハーバーラタ』は元々本ではなかったと思いますが、「本は古典」「パフォーミングアーツは伝統」というような区別はありますか?
遠藤 そういう区分もないと思います。
木ノ下 「古典」と「伝統」をインドネシア語で訳すとしたら?
遠藤 「古典」は「クラシック」で、「伝統」は「トラディショナル」でしょうか。ワヤンで言えば、宮廷を通して庇護・育成されるワヤンと、大衆に広がるワヤンとを区別して、前者を敢えて「ワヤン・クラシック」と呼ぶこともありますが、やはり一般的にはトラディショナルを使うことが多いかな。

−− 大衆ワヤンと宮廷ワヤンにはどのような違いがあるのでしょうか?

遠藤 宮廷は変化を嫌うところがあるので、規範の中で様式化されたワヤンを美とする傾向がありますね。それに対して、大衆ワヤンは観客を魅了しないと他の娯楽に上演の機会を奪われてしまうので、変化を常としながら娯楽性を強める傾向があります。
木ノ下 日本だと「古典芸能」、「伝統芸能」に加えて「伝承芸能」や「民俗芸能」という言葉もあり、更に混乱を招きやすい。とはいえ、どの言葉も同じように使える訳ではなく、例えば、神楽は古典芸能とは呼ばず民俗芸能に相当します。ただし、僕自身はこれらを正しく分類したいという欲求があまりありません。原稿を執筆する際、「古典芸能」と表記するか「伝統芸能」と表記するかについて、もの凄く気を遣うけれど、そして、それらふたつには明らかな差異があるけれど、ひとつの区分方法に囚われてしまうのではなく、それらについて考え続けることが、今の僕にはとても楽しい。

−− (ん? 木ノ下さん、上手く煙に巻いた?)

木ノ下 でも、それだと質問の回答にならないので……、僕の中では「古典=点、伝統=線」とイメージしています。古典は点であり自分とは別物で、僕にとって「出典」みたいなもの。でも伝統は線なので、今の自分も内包されてしまう。古典という点から、現代の私たちの地点まで「伝承の線」で繋がっているから。だから一度継承が止まってしまったものは伝統とは呼びたくない。たとえば、ある本が何百年も受け継がれてきたとしても、内容に変遷がないのなら、それはやっぱり「古典」と呼びたいです。逆に、大きく変化しながらも肉を通して伝承されてきた歌舞伎は、「伝統」芸能です。

−− (ごめん木ノ下さん、早とちった!)

遠藤 そのように考えてみると、ワヤンは果てしなく「伝統」かもしれませんね。ずっと地続きなんです。インドネシアを含むインド文化圏では口頭伝承に重きを置くところがあります。私の大学の恩師がインドへ留学した際に、講義のメモを取ろうとして頭を叩かれたそうです。「神聖な言葉を文字に書き取るとは何事か!」と。聞いたら覚える、その繰り返しで継承されていく、という形なんでしょうね。
木ノ下 イメージとして、インドネシアの「口承」の方が伝言ゲームのようなずれが大きくて、書物の中に文字として残された日本の「古典」の方がしっかりしていると思われがちですが、それは嘘。『リグ・ヴェーダ』を読んだけど、あれは「一文字でも間違うと言葉に宿る神様がいなくなる」というもので、その集中力で伝承されたものは、日本の古典文学と比べても遥かにガッチリしていると思います。『竹取物語』も『平家物語』も紙で読めるけれど、異本が多くてどれが原型だか判別がつかないし。まあ、その原理主義的ではない煩雑さが日本の古典の面白いところでもあるけど、古語と現代語の違いや、何度でも文字を読み直せるという安心感も含めて、読み手がどこまで受け取れるか? と考えたら、伝承の方が、余程その“魂”を受け継いでいるとも言えますね。

祭礼であり、エンタメでもある。それがワヤンの基本かも

−− 先程「神楽は民俗芸能に分類出来る」というお話がありましたが、例えば「興行」と「祭礼」というのも区分の基準になり得ますか?

木ノ下 でも、古典芸能の中に祭礼的なものはないのかと聞かれたら、ある。そして、祭礼の中にエンタメ性はないのかと聞かれたら、それもある。
遠藤 「祭礼とエンタメ」に関してお話しすると、ワヤンは祭礼でありエンタメと言っても良いかもしれません。根底にアミニズムがあるので、そのエンタメ性が誰のためかと言われれば、必ずしも人間のためだけではないんですよね。世にあまねく様々な存在に対して上演が捧げられます。
木ノ下 それ、神様と民衆は分けられます?
遠藤 分けるのは難しいでしょうね。基本は「そこにいるすべての存在に向けて」というスタンスです。空間体験というのは正にそういうことですよね。精霊も人も楽しませるエンターテインメント。

−− (『千と千尋の神隠し』みたいなイメージ?)

遠藤 祭礼であり、かつエンタメでもある。それがワヤンの基本かも。
木ノ下 日本語でも「遊芸」の「遊」の語源は「神様と触れ合う、神様との遊び」だと言われています。余談ですが、かつて三波春夫さんが「お客様は神様です」と仰ったことに関して、消費社会にへりくだった発言だと批評されましたが、あの本意は「お客様は神様です。神様に向かって歌を奉納しています」ということ。人と神が一緒になって楽しむ、祭礼でありエンタメ。三波春夫さんは芸能の根本へ立ち返ろうとされていたのだと思います。

 

【問3】伝統芸能の現代化とは何か?

遠藤 ワヤンの現代化は、ここ50年来の大きな課題として突きつけられています。例えば、ワヤンは上演言語としてジャワ語を使用するのですが、ジャワ人であっても、特に若い世代ではジャワ語離れが進んでいて、ジャワ語が堪能ではありません。そういった社会状況の変化に対して、1960年代には早くもワヤンの現代化が議論され始めます。上演言語を国語であるインドネシア語に置き換えた上演が生まれ、実験的な試みとしてまずまずの反響が得られたようです。ただし、ジャワ語とインドネシア語という多分に異なるふたつの言語の翻訳は、ジャワ語が持つ言語的な奥ゆかしさを損なってしまう危険性を常に孕み、いまに至るまで十分な成果をあげていません。70年代から80年代には語りの芸能としてのワヤンは黄金期を迎え、それに続くテレビの普及では、ワヤンの視覚化が徐々に進むなど、時代と共に少しずつワヤンも変わっていきました。2000年代に入ってからは伝統的なワヤンの解体が進み、ワヤンから着想を得たワヤンを冠する上演が雨後の筍のごとく現れましたが、そのほとんどは闇雲に色々な組み合わせを試しているばかりで、いたずらに新しいワヤンの種類を増やしているような状態でした。その迷走期にインドネシアに滞在することになった私は、ことさら「ワヤンとは何だろう?」と考えるようになりました。

−− そういった安易な現代化が批判の対象になることは?

遠藤 批判の対象にはなりませんが、上演して面白くないものはどんどん淘汰されちゃいますよね。ほとんど一回限り。その一方で、ワヤン・ウクールのように、新しい人形を用いて、既存の解釈を打破するような演出や上演技法を取り入れる革新的な試みもありました。ただ、この上演は創始者であるシギット・スカスマンに負うところがあまりに大きく、スカスマンが2009年に亡くなってしまってからは、その意思が十分に継承されていない印象です。スカスマンの最も面白かった点は、安易に上演形式をいじるのではなく、歴史的文脈を踏まえた上で規制のルールにとらわれることなく新たな変革を求めたこと。既存の価値体系の中では、それ自体が既に完成された人形の形態に対してもメスを入れることを恐れず、「この人形はこういう時代背景を経て生まれているのだから、現代であればこのように生まれ変わっても良いだろう」という確固とした理論付けの中で変革を追い求めた。
木ノ下 それは「必然性」の問題ですね。そこに作り手がどれだけの必然性を持てるか? だと思う。アーティストが確固たる根拠と自信を持って「これが現代のあるべき姿です」と出した表現は、簡単には無視出来ないし、それについて批評家も観客も意見を述べられるので、そこから議論が発展していく。だから、必然がない、それを必要だと思っていない上演は、根本的にダメ。芸能への愛情、愛着だけではダメ。それらは勿論必要だけど、同時に客観的な根拠や説得力のある理論による裏付けが必要。一つの作品が、アーティストの独創性や想像力の産物として片づけられることなく、いかにその作品から議論を起こせるかどうか? その上に新たな議論を構築出来る土壌が作品に残されているか? それがひとつの判断基準になってくる。
遠藤 スカスマンの活動は賛否両論を招いたけれど、上演形態の発展のさせ方として見るべきところが多かったと思う。彼自身が新しい人形を数百体考案していて、その中には絶対に変えてはいけないとされる主要キャラクターも含まれていた。その人形を実際に目にすると、少なくとも私にはただ美しいだけではなく、ジャワの社会状況や歴史を踏まえた地続きの進化形に見えました。伝統的と言われる上演の中にスカスマンの影響が垣間見えたりすると、そういう流れは凄く面白いなぁと思います。

外的視点を持っていたからこそ、変革に挑むことが出来た

木ノ下 現代化という試みが成功したか否かという尺度のひとつに、それが本家に何かしらの影響を与えたか? という客観的評価があると思う。伝統を変えた、爪痕を残したという行為は、そこで真価を問われますよね。
遠藤 仰る通りで、スカスマンの場合は彼自身がダランではなかったということが大きかった。外的視点を持っていたからこそ、本家が驚くような変革に挑むことが出来た。
木ノ下 それはひとつの鍵ですね。日本芸能の近現代史を紐解いてみても、ある芸能を根本から変えてしまった人は大体外の目を持った人。人形浄瑠璃(文楽)で言うと、二代豊竹古靱太夫、後に山城少掾と名前が変わるのですが、この人の以前と以後では義太夫の語りの概念が変わったと称されるほどの変革者。彼は東京出身です。上方落語で言えば、桂米朝。上方落語を復興させた功労者ですが、米朝師匠は姫路市出身なので、「あんな訛りのある上方落語の定番にして良いのか?」とか「大阪らしい猥雑で泥臭い味わいがない」などの批判は常にありました。でも、だからこそ大胆なテキストレジ(※脚本の改変)に踏み込むことが出来た。
遠藤 スカスマンの「外の立場」はとても明確で、自分はダランではない、まして伝統芸能の担い手でもない。その自由な立場であったからこそワヤンを客体化し、人形のリデザインや演目の改変、新しい上演技法を用いるといった変革を成し遂げられたのだと思います。彼にとって、ダランはあくまでワヤン上演の一要素で、演出家としての指針がハッキリしている。
木ノ下 「武智歌舞伎」で有名な武智鉄二もそういう人。スカスマンと似ているんじゃないかなぁ。
遠藤 その、武智歌舞伎というのは?

−− (遠藤さんグッジョブ!)

木ノ下 主に昭和20年代に武智鉄二という人の演出で上演された歌舞伎演目を「武智歌舞伎」と呼んでいます。実は演出とクレジットされず監修という形で参加した作品も多数あり、武智歌舞伎に関する学術的研究も、その評価も、随分遅れているというのが僕の見解です。で、その武智鉄二ですが、彼も伝統芸能者でもなければ歌舞伎の実演者でもない。いわゆる「歌舞伎演出家」ですからね。武智鉄二はそこが唯一無二で、外部の人間が歌舞伎を演出するなど到底考えられない時代、それこそ演出家という概念すら怪しい時代に、それを歌舞伎という芸能で実践した。それはやはり、革命と呼べると思います。
遠藤 なるほど……。凄く興味深い人物ですね。

これらが揃った事例はほぼないように思います

木ノ下 武智鉄二は、歌舞伎演出家として自分の地位を確立する為に様々な取り組みを行い、そこで血の滲むような苦労をしているのですが、スカスマンがワヤンの芸能コミュニティへ入って行く際、そういう軋轢はなかったのですか?
遠藤 はじめの頃は王宮のダランから猛烈な反発を招いたみたいですよ。でも、彼が新しいワヤンを創ろうとした時代は、ワヤンの存続に対する危機意識が高まっていた時期で、そういう危機意識を持った人達が他にもいた。時代の後押しと危機意識、そしてワヤンに対する深い愛が軋轢をものともしない推進力になったのでは。
木ノ下 武智歌舞伎も同じ。戦後間もない昭和20年代、このままだと歌舞伎が廃れてしまうという危機感があり、特に上方の関西歌舞伎が危ないという時期でした。やはり、伝統芸能の現代化というのは相応の危機感がないと辿り着けない領域なのかも。危機感のない人たちをただ集めて、「はーい、コンテンポラリーでーす!」とやっても仕方ないんでしょうねぇ。だって、そこには何の必然もないから。
遠藤 そうだと思います。そして、歌舞伎の現代化について考えることは、木ノ下歌舞伎の活動とそのままリンクしますね。
木ノ下 僕としては、基本、木ノ下歌舞伎は唯一無二だと思っていて……。
遠藤 間違いなく唯一無二です!
木ノ下 ありがとうございます。でも、まあそれは単に「隙間産業」だということなだけですけどね(笑)。ほかに事例がないというだけのことで……。木ノ下歌舞伎の特質は大きく三つあって、①演者が歌舞伎俳優ではない。②古典テキストを現代的に読み替える。ここまでなら木ノ下歌舞伎以外でも該当する作品や劇団はあります。でも、③作品毎に演出家を替えることで多様な作品群を生み出し、それらを波及させることを志している。この3つが揃った事例はほぼないように思います。そういう意味では、武智以外にも演出者が複数いた武智歌舞伎とかなり近いのですが、あれは歌舞伎俳優が演じていたので、その点は異なります。

−− いま挙げて頂いた3点が、木ノ下さんの考える「歌舞伎の現代化」と捉えてよろしいですか?

木ノ下 2016年現在における歌舞伎の現代化では、そうです。これ、10年後にはまた変わるだろうし、昭和20年代に武智鉄二が挑んだ現代化とも異なる。あくまで「いま現代化するならば、このやり方が有効だ」という立場に立った上でのひとまずの私の「解」として捉えていただければ嬉しいです。マニアックに陥っても良くない、作品を一般に発信しようとするアンテナも不可欠、活動を浸透させるためにはサロン的な性質と機能も必要……などなどを加味した上で、これまで木ノ下歌舞伎という集団を作ってきましたから、先程の3点の特質も含めて、現時点で私が考える歌舞伎の現代化はこれだ、と思っていただいて結構ですよ。

2016年9月、インドネシア現地での調査に関して

−− 徐々に渡航日程が近づいてきました。お二人は今、どのような期待を抱いていますか?

木ノ下 期待は山ほどありますが、でも同時に、非常に強い恐怖も感じています。要は、全てが新鮮に映ると思うんです。歴史、文化、街、食べ物……、それらの新鮮さに甘んじてしまうのではないか? という恐怖。京都の祇園を歩いている外国人は「いま自分は伝統的な日本を見ている!」と感じるでしょうが、僕はもっとディープなところに“京都”を感じる。外国人は他国の観光地や土産物などに「安直な伝統」を感じたり、時に勘ちがいしたりしがちですよね。インドネシアではおそらく自分もそうなってしまうと思う。それが怖い。だから、全部疑おうと思っています。「いま自分は感動しているが、本当にこれで感動していいのか?」と。それはかなり疲れる作業だと想像しますが、でも、それを経て残ったものは相応に深いものではないかと。
遠藤 私は逆に、全く新鮮な目でウキウキしながら見られるよう努めたい。ツーリストとしての目を取り戻せ……るかどうか分からないけれど、インドネシアに住んでいた頃とは異なる視線、新鮮な視線で見つめるように心掛けたいです。その上で調査に同行される皆さんには、一歩引いたところから見ることを忘れずにいて欲しい。やはり、芸能を知ろうとした時に芸能だけ見てもダメなんですよ。その社会そのものを俯瞰しないといけない。今のインドネシアをどのように見つめてどのように捉えるか。その視線で芸能を見て、初めて何かしらの視座に気付くことが出来る。それこそが、この調査の大きな柱になると確信しています。芸能だけではなく、人々の生活、歴史的な遺産、その他の様々な文化を見ることで、初めて本当の意味で伝統芸能の厚みと向き合うことが出来る。それを是非実感して欲しいという希望が強くあります。