【エッセイ】Nanang Ananto Wicaksono

アナント・ウィチャクソノ(Nanang Ananto Wicaksono)

アナント・ウィチャクソノ(Nanang Ananto Wicaksono)ダラン(人形遣い)

この5年ほど日本に滞在して(定住したわけではないが)、私は初めて完全な形で日本の伝統芸能を見ることができた。文楽のような伝統芸能公演を何度か見たことがあるが、チケット代がとても高く予算の限りがあったため2時間ほどの公演で、外国人への情報も無かった(おそらく、日本の伝統芸能は、インドネシアの伝統芸能のように、外国人が観賞するために上演されていないからだろうか?)。公演を見るだけでなく、能、歌舞伎、文楽、日本舞踊、神楽などの伝統芸能の実演家と直接会い、話すことができた。このことは私の人生の中で最も価値のある、忘れられない経験となった。

このプログラムのメンバーの中で最年少であったが、挫折することなく、全てのプログラムに参加する努力をした。日本の伝統芸能をより深く知る、とても有意義なプログラムだと感じたからだ。日本の伝統芸能を視察し学ぶことは、とても楽しい経験だった。このプログラムで多くの知識を得、日本の伝統芸能について知ることにより、親近感がより増したと感じる。

ジャワのワヤン・クリッのダラン(人形遣い)として、インドネシアと日本の文化を融合し作品を作ろうとする私にとって、このプログラムはとても興味深く、たくさんのインスピレーションを与えてくれた。新規のものを手掛けることは容易ではなく、この作業は即座に一人で行えるものではない。いくつかの精神的要素を、その本質を失わず、かつ芸術的価値を落とさないまま、一つにする協働作業はとても難しく感じた。私自身、この作業には時間をかけて、より長い探求のプロセスを経なければいけないと気づいていた。価値の高い新しい芸能作品を作るためには、忍耐や全体性、帰結、熟考されたコンセプトが必要である。まだ長い道のりで多くの障害を越えなければいけないが、この国際交流基金のプログラムが私を目標に達成するよう後押しをしてくれた。よぉぉぉし、頑張ります!

このプログラムで経験した、日本の伝統芸能の実演家と愛好者が、並々ならぬ熱意をもって、伝統芸能を尊重し、保存・維持していること、には感動し、感心した。木ノ下さんは特筆すべき現代の芸術家の一人だが、伝統をとても敬い、その本質を変えようとしない。時代に合わせた変容は必要であるが、日本の古典芸能において全てを変える変革はあり得ない。一つの例として、木ノ下歌舞伎が行っているように、現代的な上演様式で演じられているが、物語の筋や配役は変わらない。しかしこれについては、インドネシアでは、特にジャワのダランの伝統とはかなり状況が違う。ジャワのダランの世界を説明すると、サンギット・ラコン(物語の解釈)はダランによって様々に異なるのだ。ジャワのダランの世界ではそれが一般的である。ラーマーヤナやマハーバーラタの叙事詩を物語るジャワのワヤン・クリッ・プルワを見ても、インドのオリジナル版とは違うのである。この相違がなぜ生まれるかというと、ジャワでは文化を口頭で伝承する傾向があり、日本では歴史的に見て、多くは書物により伝承されているからだ。しかし、その相違はダランの創造性や特徴として捉えられ、それ故、各々のダランが観客を引き付けるために、ダイナミックな物語やドラマ仕立てを演じるよう求められているのだ。

私が最も感嘆したのは、なぜ観客がほぼ高齢者(すみません)にも関わらず、とても熱心に伝統芸能を鑑賞しているのだろうということだった。

この上記の問いについては、舞台裏でのディスカッションの際に、能楽師からの説明により答えを得た。能の観客は戯曲の中にある物語だけを楽しんでいるのではなく、能を鑑賞する目的は、精神の安らぎを求めているのである。このことは、ジャワやバリでも人生の教えを示す伝統的なワヤン・クリッを見る時に同じことが言える。能を鑑賞することは歌舞伎、神楽や文楽を見るのとは違う。伝統芸能という同じカテゴリーであるが、ドラマツルギーが際立っている。日本の現代演劇を観ると、上演構成はむしろより西洋の演劇に近い傾向がある。しかし、木ノ下歌舞伎は大変ユニークで違っていた。木ノ下歌舞伎は西洋の演劇様式で上演しているのだが、日本文化の呼吸と魂を感じたのだ。物語のあらすじと脚本は細部まで古典に沿っていたが、美術面では変更を加えていた。このような脚色は、伝統芸能を現代化しようとする伝統芸能家にはほとんど行われていない。日本に流入した外国文化をうまく活用する、日本の近代社会の優秀さがここに表れている。

能について、話を戻そう。能の起源の歴史を見ると、単なる娯楽公演ではなく、儀式芸能であり、「武家階級の庇護の下の芸能」となる以前に、庶民の間で発展している。これはワヤン、特にワヤン・クリッの起源と同じである。その発展の過程で、能にも変化が生じているが、しかし現代社会の生活にはそぐわない様式美や道徳規範をいまだ保持している。現代のワヤン・クリッとは違うのだ。なぜ違うのだろうか?舞台芸術の世界では、特にジャワの伝統的なダランたちは、現代的な舞台公演とは娯楽を前提とした公演であると捉えている。従って、伝統的なワヤン公演の多くが、現代の流行に乗っていると言われたいがために、娯楽性のみを重視しているのだ。そのため、ジャワの伝統的なワヤン・クリッ公演では、様式美と道徳規範が低下してしまった。

ジャワでの伝統的なワヤン公演の価値が低下している今、私は他の面からワヤン伝統芸能を復興させたいと思う。現代のインドネシアでは、ワヤン公演を見るのに、会場へ行く必要が無い。テレビや、携帯電話、ラップトップなどの電子機器で、インターネットを通してYouTubeや他のサイトで見ることができる。その他にも、特定のダランのワヤン公演を見たい人のために、影絵師に無断で公演を録画しDVDにして売る、またはコピーするというケースもある(インドネシアではこのような違法なこともよく起きている。ごめんなさい・笑)このような方法は、実演家である芸術家に大きな損害を与える。公演に招待する必要がないため、時間を短縮することができる(ダランがかわいそう…)。このケースから学んで、ダランが損害を被らず、ワヤン公演のライブ録画ではない方法で、私は電子メディアでワヤン公演を見る新しい方法を探りたい。その他に、ワヤン・クリッがマニュアルだけで演じられるのではなく、デジタルでも表現できると、より広く社会に紹介することを考えている。そこで私はワヤン公演を、例えばアニメーション映画のようなデジタル方式で、かつ伝統的なワヤンの技術を用いて作れないかと考えている。デジタル・ワヤンを作る目的は、伝統芸能の価値の秩序を乱したり、変えようとするものではない。それは違う!ただ、オルタナティブな媒体の一つとして使い、電子メディアを生活の一部として利用する現代の人々に、ワヤンの伝統芸能を忘れないよう、ワヤンを紹介し、より身近に感じてもらいたいのだ。

その他にも、私が感心し羨ましく感じたのは、日本の伝統芸能のマネージメントだった。日本の伝統芸能は、民間企業や政府によってよく管理されており、社会からのサポートも多いため、今後も存続するだろう。芸能家は芸能の実践者であるべきと考える私の個人的な価値観からはすこし外れているのだが、伝統芸能が存続するためには、伝統芸能のマネージメントが求められており、とても重要であると思う。残念ながら、インドネシアの芸能マネージメントは日本とはかけ離れている。政府や民間企業は、インドネシアの伝統芸能の存続についてあまり関心が無いのだ(おそらく、インドネシアには伝統芸能が余りにも多いからだろうか?)。

しかし、インドネシア政府も伝統芸能家も、日本の伝統芸能マネージメントから多くを学ぶべきだ。もしくは私が始めるべきだろうか?(笑)。しかし、覚えておかなければいけないのは、伝統は単なる商品ではないということだ。もし芸能家が芸能を商品として扱えば、芸能の価値、その芸能家の誇りさえも低下してしまうだろう。このことは、芸能を職業とする実演家である私に、芸能を商品と捉えてはいけないと気づかせてくれたのだ。