【エッセイ】Anon Suneko

アノン・スネコ(Anon Suneko)

アノン・スネコ(Anon Suneko)音楽家、大学講師、オマ・ガムラン主宰

インドネシアは、西端はサバン、東端はメラウケに広がる多種多様な民族、慣習、宗教、信仰を持つ島嶼国家である。インドネシアの国土には1万数千の島が広がり、約2億6千万の人々が住み、多種多様な社会・文化の特色に溢れている。「ビネカ・トゥンガル・イカ」多様性の中の統一というスローガンのもとに、インドネシアの民衆はダイナミックに共存してきた。調和した社会生活の中で、多様な文化と芸術が、様々な形で保存され、発展し、守られてきた。文化的な民衆が文明の中で生み出した数々の芸術が、インドネシアで根付き花開いた。この芸術の発展は、地域的な、また国際的な環境の中での人々の活動に、インドネシア社会が開放的であったため、起こったことだった。豊かな伝統芸能や芸術文化の強固な基礎があったからこそ、インドネシア社会は時代の変化に応じて、伝統芸能を様々な手法で発展させてきた。ジョグジャカルタは地域文化と外来文化との相互作用を、適度に受け入れ、取捨選択する性質を持つ都市だ。ジョグジャカルタの社会にとって、350年に及んだ西洋帝国主義の影響さえも、学園都市であるジョグジャカルタを特徴づける、ネガティブではなくポジティブな要素として捉えている。非常に高い芸術的価値を持つジョグジャカルタ王宮の古典作品のいくつかは、ジャワ芸術と西洋文化の相互作用から生まれたものである。管楽器、スネアドラム、弦楽器といった西洋楽器はジョグジャカルタ王宮芸術のガムラン伝統音楽の中に取り入れられたことも、西洋と東洋の文化変容の具体的な姿を示しており、現在においても維持され代々受け継がれている。ジョグジャカルタで生まれ育った若い芸術家として、私は芸術文化の町ジョグジャカルタを誇りに思っている。伝統芸能を知り始める幼い頃から、芸術文化の発展を助けるジョグジャカルタの環境を感じていた。私は芸術的な環境に生まれ育ったため、幼い頃から伝統芸能に慣れ親しんでいた。両親や学校、政府からの支援を受け、伝統芸能への愛情に後押しされ、私は高等教育に進み芸術を専攻した。伝統音楽と舞踊は、現在においても私が取り組んでいる分野である。この二つの伝統芸能を深く学ぶほど、疑問が生まれ、もっと知りたい、もっと修得したいという気持ちが大きくなった。現在、そして今後もジョグジャカルタの人々の生活に彩りを加えたいと、自然に責任感が生まれ、伝統芸能を保存し発展させるいくつかのアイデアが生まれたのだ。ジョグジャカルタはインドネシアのミニチュアとして知られているが、ジャワ民族だけが住んでいるわけではない。ジョグジャカルタはインドネシアの他の地域から、この学園都市で学び知識を得る目的で移り住む人々がおり、これがジョグジャカルタのダイナミックな異文化交流の生活を形成している。この文化の交流が、外来文化に対して開放的な傾向にあるジョグジャカルタの伝統芸能に影響を与えている。時代の変化に伴い、ジョグジャカルタは地域文化と外来文化が交流する好ましい環境を形作っている。王宮の環境の中だけではない。グローバリゼーションの時代に伴い、境界無く自由に交流することで文化変容が更に進んでいる。インドネシア、特にジョグジャカルタでは、宮廷芸能と大衆芸能も時代の変化に伴い発展しており、それぞれの軸のもとに共存し、現代性と伝統芸能に調和が取れるよう、互いに補い合っているのだ。時代は変化し、トレンドは移り変わり、自動的に嗜好も変わっていく。伝統芸能を保護しようとしても、この変化は止められず、むやみに抗えるものでもない。だからこそ、時代の流れに伴い、複雑さを増す現代文化にますます引き寄せられる次世代の後継者たちが、伝統芸能を存続していくことが大変重要になってくる。伝統をいつも基本形から教えるのでなく、現代の彼らの趣味や嗜好が何であるかを理解することが、伝統芸能を継承する上で効果的な方法なのである。子供や青年にとって魅力的な公演になるよう、私は伝統芸能の基本要素に変更を加えたい。伝統芸能の特徴と基礎を段階的に吸収し、いつか彼らは伝統芸能が実は一朝一夕で生まれたものではないと理解するだろう。このような方法は、伝統芸能の価値をより深く根付かせるために適した方法だと思う。次世代への継承過程で、彼らが世代を超えて伝統芸能を維持し、保存し、発展させるための手がかりとなるだろう。

一般的には、日本の伝統芸能はインドネシアと同様に東洋的な魂と特徴を持っている。象徴、哲学、洗練、解釈の複雑さは、伝統芸能の魅力が凝縮された部分である。芸能の実演家として見て、日本の伝統芸能の状況はインドネシアと違い、完璧に保存するがため、伝統の規範をより厳格に守っているように感じた。しかし、日本の先進的な文明が生み出した技術は、日本の伝統芸能の保存と発展が円滑に行われるように上手く活用されている。この調査の中で、伝統芸能と現代の社会生活との関係は調和が取れ、お互いに支え合っていると感じた。日本の伝統芸能を調査する上で重要に感じていたのは「世代交代」について考察することだった。 彼らが意識する、しないに関わらず、日本の若い世代が日本の伝統芸能の運命を決めるからだ。境界なくグローバルに情報を参照するグローバル世代に容易に受け入れられる、若者の好みに合わせた「現代風」の脚色で、伝統芸能を継承する木ノ下歌舞伎の登場は、他の芸術家にとって刺激剤となったに違いない。

「伝統のチカラ、芸術のカタチ」は芸術家の私に、大変有意義な知識と経験を与えてくれた。17日間、日本の伝統芸能の調査を通して、日本の都市、東京、広島、大阪、京都において、能、文楽、歌舞伎、神楽という以前から名声を聞き知っていた日本の伝統芸能の存在、発展、歴史、変化、転換の状況を見ることができた。この調査で、これらの伝統芸能を真に息づかせる精神を間近で見て感じることができた。能、文楽、歌舞伎、神楽のいくつかの演目を見て、私が長年関わる伝統芸能を発展させるインスピレーションを得た。この日本の伝統芸能公演から得たアイデアのエッセンスを、個人的なメモに残し、いつか私の創作活動の参考にしたい。研究者としてこのプログラムで日本の伝統芸能を鑑賞し、私は日本の伝統芸能がその道のりの中で、時代から時代へ、様々な国家のもとでいかにダイナミックに存続していったかを知った。日本の伝統芸能の経験から得たいくつかの発見を、まだ明らかにされていないジョグジャカルタの伝統芸能を探る上で参考としたい。日本の経験について議論を深めることにより、ジャワ、特にジョグジャカルタの伝統芸能の発展を考察する上で、新しい視座を与えてくれた。また、ジョグジャカルタの伝統芸能を継承する芸術家として、現在の日本のように、将来ジョグジャカルタの伝統芸能が文明の発展とどう折り合っていくのかという心構えを日本の経験から学ぶことができた。時代から時代へ文明と調和しながら、伝統芸能がダイナミックに歩み続けられるように、インドネシアと日本は伝統芸能の保存と発展のために、お互いに情報を共有し、学びあい、時代や人々の嗜好、トレンドの移り変わりを読み説く研究をしていくべきだ。この貴重な経験の全てを私個人のために活かすのではなく、より広くジョグジャカルタの友人や私が主宰するオマー・ガムランのコミュニティに共有したい。インドネシア芸術大学ジョグジャカルタ校の学生たちへも、私の経験を共有し、日本の伝統芸能を研究や創作の参考としながら、インドネシアの伝統芸能の保存と発展について議論したい。